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​ARTWORK

「北で生きてきた」

 

制作時期:2023年8月

場所:京都府京都市 池田邸 土絵と本の家 図書館(常設)

 

この作品には、北海道・福島・京都の土など19種類が使われています。

ただ今製作中のコンセプトブックではそれぞれの場所やエピソードを記載する予定です。

10月に完成予定で、まだコンセプトはまとまっていませんが、モチーフの話を掲載します。

 

少し長いかもしれませんがメモのつもりで書きます。御殿場で描いている時にはメインのモチーフが浮かんでいませんでした。アイヌ民族のリサーチをしてきたのだし、北のテーマだからフクロウや熊でも良いかな?と思いながら、私はアイヌではないから、描くのは何か違うと躊躇していました。では東北が蝦夷の時代のモチーフとは何かな?と調べてはみても、明確な記録はありません。(きっと土着信仰の中にあるとは思いますが、しっくりこなかった)

結局決まらずに、京都にて絵の仕上げに向かう事になりました。ご依頼者さん家の近くには西本願寺の唐門があり「散歩してきたら?」と促されて見に行きましたが、やはり京都はお寺の大きさも装飾も東北ではお目にかかれない造りのものばかり。唐門の立派な沢山の装飾を見たのが印象的でした。中でも鳳凰に目が行きました。鳳凰・不死鳥とは、数百年に一度炎に飛び込んで転生することで永遠に生きると言われている伝説上の鳥で、中国での演技がいい霊獣として京都にも多々モチーフとなった美術品が沢山あります。

中国や西の威厳の象徴のイメージが強いですが、それを私は美しい装飾だと感じました。東北が蝦夷だった時代は大昔、その場所で生まれた私は京都のお寺さんを見て日本を感じ、町屋の景色に感動したり。すっかり西から来た文化と自分が混ざったのだな、と実感しました。アイヌ民族も日本人が入り込んだ事によりだいぶ変化した様に、どの国でも様々な民族や文化が混じり合って現在があるのだと、歴史を学ぶ事により理解できました。でも、変化せずに有り続けるものも存在します。それがその人自身のアイデンティティの形成に繋がるのだと思います。

 

不死鳥の事を分析すると、転生や火のエネルギーを連想するモチーフでもあります。

その事から私は、不死鳥を原発・土地のエネルギーや再生の象徴のつもりでも描きました。雪に覆われながら、その中でひっそりと生まれる不死鳥のイメージ。時を超え北の国の文化や信仰は変わりました。時に、住む土地さえ変えなければならなかったけれど、その人の中に流れるアイディンティティは炎の様に消えることはないと思います。

それは北海道アイヌ方々にお会いして、学んだ事でもありました。

「ダムの下で眠る部屋」

​半芸ハウス リノベーションプロジェクト

制作時期:2023年6月

​場所:宮城県七ヶ宿町 半芸ハウス 2階の部屋(常設) 

このお部屋の絵は、七ヶ宿ダムの底に沈んだ3つの集落を題材にし、その関連した地域から18種類の土や炭の素材で絵を描いています。

現在は町の象徴でもある七ヶ宿ダムは、今から約30年前に完成しました。このダムは、主に仙台市を中心に仙南地域の水道水として、または下流地域の洪水被害防止として大きな役割を担っています。ダム建設の話が出てから完成するまで約20年程の時間を有しました。七ヶ宿町では様々な人々の動きがありましたが、中でもダム建設による移転当事者の3つの集落「渡瀬宿・原宿・追見宿」に住んでいた人々は、苦渋の決断をしました。ダム建設の話し合いが始まって、約10年に渡り徐々に一軒一軒と居住移転をし、今のダムが出来上がりました。

 

 この絵の制作にあたって、住居移転先で暮らす人のお宅を訪れ、当時の思い出や今の暮らしについて簡単なインタビューをし、その場所で土採取を行いました。その意図は、時代の流れと共に「無くならざるを得なかった故郷」を持つ人は、新しい地でどんな思いで暮らしているんだろう?という疑問と、当時の状況を知るためでした。

「故郷が無くなってしまう状況」は災害や戦争などの未曾有の出来事で、様々な人々が経験してきました。その状況から折り合いを付けて生きてきた先人達がいたからこそ、今の暮らしがあります。そんな人々が生きてきた証を少しでも記録として残しておく事が目的です。

 

採取した土の絵を見ながら、沢山の人の歴史が地層の様に折り重なり、または白石川の源流からダムに流れる水の様にそこで生きてきた人々の移ろいを感じて頂ければ嬉しいです

絵の展示と共に、ダムに関わる方々にリサーチしたインタビューを本にまとめて展示しています。
本を読んで、さらに土のストーリーを感じてもらえたら嬉しいです。

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ー七ヶ宿町の土の採取を巡るー
 

ダムの湖畔 旧追見宿 

ーダムに沈んだ集落の人を巡るー
 

白石市 古川家 祠の木下

「いのちの木」

制作時期:2023年3月

​場所:福島県郡山市 かぐいけ坂の保育園 階段の踊り場(常設) 

 

いのちの木は、「かぐいけ坂の保育園」ができる前のこの場所で受け継がれてきた自然と人のいのちの歩みをテーマにしています。

 

 保育園があるこの香久池は、かつては香久山がありました。人の生活の変化と共に風景も変わりましたが、何億年前からそこには”土”がありました。新しい土地の”土”も含めて、いつでもみんなの歩みと共に存在してきました。そんなストーリーを持った11種類の土で、この絵は描かれています。

 保育園を建ててくれた土屋病院の土屋家の※おじいさんは昔、材木商を営んでいて郡山の土地をいくつか所有し、ここに生えていた沢山の木を販売していました。やがてそこに病院を建てることになり、この保育園もその上に建っています。またここの木は、誰かの家になったり薪や桶になったり、その時代のみんなの生活を支えました。

 ここの保育園に集まる未来明るい子供たちには、ここでおきた昔の事は現在や未来に続いていることを感じてもらうきっかけとして、この場所にかつて生えていた木をイメージしました。根っこが昔の人の歩みの様にどっしりと茂り立ち、天に向かって大きな木の枝の様に伸び伸びと育ってくれることを願っています。

 

 

※ 土屋繁八 氏(医療法人慈繁会創始者 土屋繁一の父)